okamehachimokuのブログ

日々の日記と創作

好きな文章、文体。

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 2018年5月3日投稿の記事をみつけ、7年経っても、ちっとも進歩していないことに、あきれながらも、それが自身のスタイルなのかなとも思いますが。


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一部抜粋


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 老いてなおも、女であることにシガミツク女。醜いより、気持ち悪いと言い切る人もいますが、娘と母親の関係は、同性であるからこそ、互いにシビアになるはず。口に出すか出さないかで、娘のほうでは、母親らしい姿を求め、女を前面に出す姿は気持ち悪いとなるようですが。


 そんな、流れで思い出したのが、有吉玉青さんの作品。言わずと知れた有吉佐和子さんの一人娘。

名前が素晴らしい。

私が有吉玉青さんの作品を読み始めたきっかけは、名前です。

素敵な名前だな、本名だとしたら、どんな親だろうか。

最初に読んだのは、『身がわり』。

そこで、有吉佐和子さんのお嬢さんだと知り、名前の素敵さに納得して、また、文章力は母親譲りだと納得して。

女の人の文章では、なんでも「お」をつける人がいて、そもそもが、そこで私は読みたくなくなる。

有吉玉青さんの文章は、そのような点だけでも読み進む、続けて何作品かを読みたくなった作家さんでした。

なぜ、女の人は、なんでもかんでもに「お」をつけるのでしょうね。無知の極みです。


『身がわり』は、エッセイです。

母親にどのように溺愛されて育てられたかが書かれていて、著者が二十歳の時に母親が急死して混乱してしまうわけにも納得するのですが。

アメリカに行っていて知った母親の死。まだ二十歳ですから、混乱するのも当然で、そこから立ちあがり、自分を愛してくれた母親の肉体は消えても、魂は自分の中に生きている。

母の身がわりとなって生きよう、偉大な女流作家だった有吉佐和子は、自分にとっては、母であり父であり。自分の中に生き続ける母親。そのように私は受けとめた作品でした。


いつか自分にも訪れるであろう親との別れを意識させられた作品でした。

私自身が両親が年を取ってからの子供なので、親との別れについては、中学生の頃から頭にはありましたが、はっきり意識したことはなかったので、この作品で、いつかその別れが来た時には、私もそのように考えたいと思ったものです。


有吉玉青さんは、1963年生まれで現在は63才。

新聞か雑誌か、対談だったと思うのですが、有吉玉青さんが、

「書くことは、考えが形になっていく喜びがあり、エッセイは自分でわかったことを人に伝えるもので、小説は、わからないことをわかろうとする試み」と、話されていたのが記憶にあり、その考え方が、同じだったので、ますます著者の作品を出版されると必ず読むようになったのですが。


家の中には、有能な主婦が必要ですが、その役目は有吉家では、玉青さんにとってはお祖母さんが担っていたのですね。家事は一切しない母親、小説を書いて収入を得る母親、父親役でもあった有吉佐和子さん。文章を書くようになって、文筆業につくようになって、母親の苦悩も知ったのではないかと、そしてまた、祖母の存在のありがたさにも気付いたのではと、次々と作品を読んでいくうちに、著者自身の気付きや、成長もわかるので、一人の作家さんの作品を出版順に読むのも面白いものです。


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  有吉玉青さんの『身がわり』について書いたものですが、この作品は、時おり開いて読んでいます。好きとは、理由などないのですね。好きだから、何度も読む。


心にせまる文章、心にしみる文章は、人それぞれでしょうが、1冊の本の中で、たったワンフレーズが気に入って、大切にする本もあります。


有吉玉青さんの作品が好きというより、私は文章のタイプが好きなのだなと最近思うようになりました。



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これは、何度もいろいろな媒体に公開したものです。

再掲、再々掲どころではありません。好きな作家さんは?好きな文体は?と問われると、例にあげる記事でして、


少し修正して、ムラゴンにも。




よろしくね。