慣わし。

年末年始は忙しい。予定がびっしりで、その合間をぬって、年末年始の家事仕事が沢山ある。
我が家は、2人の主婦が普段から家事は分担して当番制にして処理していて。
年末年始はクリスマス準備から、あれこれ始まる。これらも、2人で分担して進めたので、つつがなくお正月を迎え、早20日正月になる。
毎月、何かしら日本古来からの行事があって、私は特別意識は無いけれど、なんとなく、季節の行事はカレンダーに沿って行っている。
それが良いか悪いか無駄かは、家族それぞれが判断すれば良いことで、強制はしない。
日本人だから、しなければ!の考えもない。
節分に豆撒きをして、雛祭りには雛人形を、
五月になったら、兜を飾り、柏餅を作り、ベコ餅を作る。
今年のお正月は、色々なものが値上がりしている状態で、黒豆を煮るに際しても、量を減らした。
紅白なますや、うま煮や、栗きんとんなども、量を減らした。
そして思ったのは、夫が存命中は来客が多かった。多いから沢山作っておく必要があった。
それを暮れになるとそのまま、継承しているのは無駄かもなどと、勝手な理由付けをして、今年のお正月はコンパクトなおせち料理にした。
それが正解だったように思う。
冷蔵庫も冷凍庫も、すっきりした。
今までは、挨拶に顔を出してくれた人に、昆布巻や漬物など、持ち帰ってもらっていた。
大好きですから!美味しくて楽しみにしてました!
その言葉は、お世辞だったかもしれない。
年末に、嫁と2人で昆布巻を作りながら、
私が50本でいいわ!と言うと、嫁は驚いていた。
柔らかい大きな昆布巻が、我が家の特徴で、それは夫の母に教えてもらったもの。
大きな、大きなな柔らかい昆布巻が、100本から50本に減ったところで、
人の本音が見えたかもしれない。
「えっ!昆布巻、頂けない??!」
と、がっかりする人と、
「あ、そうですか、こちらでご馳走になったので充分です。」
とあっさりした人。
嫁と2人で、全体的に次のおせちも、このくらいの量でいきましょう!
となった。
無駄がない。手間も半分。経費も半分。
残らない嬉しさもあった。
7日の朝に七草粥を食べて、
11日には、鏡開き。
15日は小正月で小豆粥を食べて。
20日は正月終い。20日正月で、
ここで、今年の正月が終了したことになる。
さてさて、今年はどんな年になるか?!と考えるのも、每年20日くらいからだった。
一息つく。
一息ついて、やっと自分が戻ってきていたのかもしれない。
忙しい人生だったと思う。あなたはよくそこまで出来ますね。超人ですよ。あなたがそんなに出来るから、私達は迷惑しています。適当という言葉をご存知ですか?
色々あった。周囲との軋轢も。
年をとって、夫も亡くなり。昨年あたりから、私は町内のことも、嫌な人がいて私の意見を握りつぶそうとしていると分かった時点で、会議には参加しないことにした。参加してもその時間が無駄。何を恐れているのか、ご自身の無能振りがあからさまになるのが恐いのか、私はそんな馬鹿げた輩に頓着している時間がもったいと考えた。陰で何か言ったとして何があるのかと。多分反論するとなったら、私はそのような輩は叩き潰す。
若い時とは感覚は違ってきた。
人間にしても、考え方がまるで違う人間に寄り添う必要もない。
日本全体が難しい時期にきている。
この先、日本はどこへ向っているのかさえ、不明瞭になっている。
それぞれの人が、
自分のことだけでもしっかり、足許を見て、慎重に暮らしていかなければ。
個々が誰に頼ることなく、しっかりしていたら、
混乱も少なくなるだろう。
出来る、出来ますという感覚も、今は相当に違ってきていると感じている。
優しさと甘やかしをイコールにしてしまった結果なのかなとも。
時代は刻々と変わっていく。
来年、また今時分に、また同じように考えているのかなと楽しみ残しながらこれを記している。
2026年1月半ば。
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