朝起きると、なんとなく気だるい。
今日はお仕事お休みなので、気怠さを誤魔化すために、朝食後、さっさと掃除を済ませてキッチンの洗い物を済ませ、バスルームの掃除も済ませた。洗濯物は乾燥室に干して、リビングでレース編みをしていた。
何を作ると決めているわけでなく、ちょっとの暇があると、モチーフを編んでおく。
知らぬまに、そのモチーフが100枚、150枚くらいになると、ピアノにかけておくカバーにしようか、
夏用の羽織りカーディガンにしようかと決めて、繋いでいく。糸の買い置きを確認しながら、あと何枚編むとよいかと決めて、次の段階へ。このような手仕事は良い。精神的にも良い。
最近、男性にも編み物ブームで、精神的には編み物はオススメしている。
私は習性になっていて、考え事をしたい時や、決断したい時、レース編みのモチーフを、編み続ける。
気怠さは、何からきているのかは理解していて。
自身の業のようなものに辟易とする。
何十年振りかで偶然に出会した人、互いに伴侶は亡くなっているとはいえ、若い頃とは違うはずが。
初恋の頃の初々しい感覚とは逆の、落ち着きや余裕のある行為に、私は腑抜けになってしまった。
互いに忘れ去っていた、イヤ、忘れてはいなかったのか。
ボツボツと話される記憶の断片に、気持ちの深さを知り。
迷い道とか、寄り道とか、人生はそんな言葉では表しきれないと思う。
性格的に、私は迷うなどは無く生きているように見えるらしいけれど、実際のところは、学生時代から、どうしようかと迷うことしきりだった。
モチーフ編みで作った、テーブルクロスや、テーブルセンター、ストールなどが沢山あるのが証拠。
余韻。
一瞬の心地よい感覚が、あの頃は一瞬だったのが、
昨夜は、心地良さを次々と繰り返されて。
すっかり余韻となって、気だるい。
別れ際、
もう会えないのですか?
これだ、この言い方、決して強引さはなく、常に控え目。それが結婚相手に選ばなかった理由。一途なようで情熱が感じられなかった。
それを話すと、目が少し潤んでいた。
若い時は、先が見えないから、人間のことも、本質を見抜くなどは無理だろう。
社会的には成功しつつ、1人の初恋の人を心の奥底に想い続けるとは、あり得るのだと。
言葉だけで判断してはならない、
言葉を引き出す仕事をしていて、それは充分気付いていたはずが、自身のこととなると、見えなかったのだなと今だから理解できる。
好みの薄いピンク色のレース糸は、ストックがあと1個しかなく、
モチーフは数えると82枚。
これじゃ、、まだまだ編まなきゃ。
今日は、手芸店にも行って、この同じピンクのレース糸も買って来なくちゃ。
仕事が休みの日は、私が家事当番日で、
夕食材料も買ってこなくては。
余韻に、浸ってばかりもいられない。
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